空想新報ブログ版

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-空想国会に入ってから、離党して豹変するまで- - 独白

はじめましての方はは初めまして。TwitterやDiscordでいつも絡んでいる方はいつもありがとうございます、愛国左翼改め愛田つばさです。某党に入ってから、何かと好き勝手暴れさせてもらっていますが、それもこれも空想国会に入ってからできていることです。関係者の皆様には厚く御礼申し上げます。

さて、こんなかたっ苦しい挨拶はここまでとして、今回は独白という形でこれまでの私の空想国会生を振り返りながら思うところを好き勝手つぶやていこうと思います。

※あくまで愛国左翼(愛田つばさ)の独り言であって、空想新報全体又はそれらの公式見解ではないことを前置きしておきます。こうでもしないと面倒くさい方々がいるので。

まずは私が空想国会に興味を持った2020年12月某日。前友人から聞いた空想国会なるものが気になってTwitterで検索をかけたところ、ちょうど選挙の期間だったようで、さまざまなポスターなどがずらりと並んでいました。それには目を見張る完成度のものも多々あり、さらに興味が深まってきました。

そしてそれから数日たち、ある程度心持が決まったあと空想国会の公式垢へ凸(このとき窓口を教えてくれた某方には感謝してもしきれません)。そしてDiscordURLをもらい、意気揚々と作ったアカウントで乗り込みました。えぇ、本来は傍聴で入ったんですよ私。そしてそのまま各チャンネルを暇があるときにちらと見て、あぁ楽しそうだなぁとぼんやり思うようになりました。

そして、どうせなら国会活動してみたいなと思い選挙後にマルクス主義労働者解放人民戦線に入党。この時はまさか役職に就くだなんて思ってもみませんでした。その時は、とにかく党への貢献を第一に思想を理解し思想を広めていこうと邁進していたのです。そして、その活動が実ってかなんなのか、私が選挙用に設立を依頼した選挙戦略委員会ができました。そこの委員となって、とにかく次回参院補選への対策を某氏と組む毎日でした。

時が過ぎ、参院補選前後だったかはもう記憶が希薄ですが、選挙戦略委員会書記という管理職に抜擢され、その時はとても有頂天でした。ええ、絶頂期でした。いろんな意味で。そしてそれに連続して理論研究会第二書記という役職も拝命しました。あの時私に才能を見出してくださった某方には感謝しています。(そして裏切るような真似になったことを謝罪したいです。)

そこからはまぁ、一転直下というのか。某氏の問題提起を機会に徐々に党を疑い始めました。多分党に対して反旗を翻す人たちもきっと最初はこんな気持ちだったんだろうなぁというと今になって思います。そして、徐々に党へ疑心を強めていきます。

そして、年が明けて2021年1月某日に私は役職を全て辞任し、離党届を提出。それに至るまでの過程は多分党内機密かなんかで公表したら後ろ指刺されそうなので言いませんが、まぁ相当なことがあったことは察していただきたいです。

そして私が党にいるときにすでにいろいろコンタクトを取りお世話になっていた某氏の率いる党に入党し、そこからは好き勝手ふるまうようになりました。おそらく党を疑い始めてから自分のこれまでの行いも疑ってたのかな、と思います。今は自由にやらせてもらっていて、各空想国会著名人の一部からは期待も寄せられて肩の荷が重いですが、元気に活動しています。

ただ私がかつていた旧マル労にこれだけは言っておきたいと思います。私は反党行為を行うために某氏と結託して出ていったわけではありません。そもそも反党行為という概念すら適用するとしても怪しいところですが、離党して次世代に入党するという一連の行動は私の自立した意志によるものです。党に対して奉仕者でもあった私がそういう行動に移る結果となったことは、私に原因があるとしても、少なくとも貴党に問題がないとは言えないかと思います。私は、その体質的問題をいち早く解決し、また清廉潔白な党として生まれ変わってくれることを期待し、この独白を締めたいと思います。ご拝読ありがとうございました。次回記事からまた、空想新報をよろしくお願いします!

 

 

 

 

2021.01.30

執筆:愛田つばさ

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